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「ABR検査」 聴こえないと判った時の事・・2(2005.8.7)

2005.8に書いたこの日記の続きを、今頃ですが書き残しておこう。
当時、なぜこちらに書いておかなかったのか?
なんとなく慌しくてそのままにしてただけなんでしょうけど、なんて無精者なんだ私は。
反省の気持ちと、初心に帰る意味でも、ちゃんと書き写しておこうと思います。
元は、楽天のブログで当時書いた物です。


☆平成7年12月18日 聴力検査☆

小さな(生後6ヶ月)kanaに、哺乳瓶で一種の睡眠薬を混ぜたミルクを飲ませます。
眠ったら、検査室のベッドに寝かされて、頭に何本ものコードを着けられました。
コードの先は、なんかの機械に繋がっていて、音を聴かせた時の脳波によって聴こえているかどうかを検査するのです。
ABRと呼ばれる検査で、乳幼児期は自分で聴こえるか聴こえないかを言えないため、この検査が一般的なようです。
完全に眠っていないと出来ないので、薬を飲ませます。
また、途中で起きてしまってはいけないので、起きそうになったら体をトントンとして眠らせて下さいと言われ、検査室へは私も一緒に入りました。

kanaが寝ている部屋の隣に小さな部屋があって、機械類が置かれており、そこに検査員さんが入って行きました。
ですが、検査中に検査員さんが何度もコードをチェックしに戻って来ていたのです。
その様子から、どうやら反応が出ていないんだなぁ・・・と、私はぼんやりと感じていました。

検査室を出て、診察室前で待っている間はコードを何度もチェックされた事ばかりが気になって、でも私の思い過ごしであって欲しいと願ったものです。
・・が、結果はやはり聴こえていませんでした。

医者からの報告は、至って淡々と事務的なものでした。

「もう、一生治らないってことですか?」

このお医者さんは、今までに数え切れないほどこの言葉を投げかけられてきたのでしょう。

『そうですね。治るものではありません。
 補聴器を着けて、聴こえの訓練を受けて下さい。
 説明は、訓練担当のものから致します。』

ただ、ただ、愕然と 「わかりました・・・」
そう答えるのが精一杯だった気がします。
もう、あんまり覚えてないのだけど・・。

ただ、『残念ながら、やはり聴こえてません』
と言われた時に、・・テレビで観た事がある宣告のシーンって、実際はこんなんなんや・・、なんて、そんなおかしな事を一瞬思ったんです。
あまりにも想像と違ってたので。

想像していたショックなんて、比べ物にならなかった。
地球が揺れてるかと思った。
思考がまとまらず、呼吸してるのかどうかもわからなくなった。
グルグルと・・(これ、嘘やな。嘘。夢の中夢の中。)・・
そんな変な感覚に襲われながら、同時に現実と向き合おうとしてる自分がいる。

すぐに涙は出なかったのだけど、「一生治らないんですか?」と質問した時に
何かがわわわーーーーっと押し寄せてきて、突然涙が出てきました。
喉に大きな物が詰まってしまって、その後は言葉が出なくなっていて一緒に来ていた私の母がお医者さんと何かを話してましたが、覚えてません。

病院の待合室でしばらく涙を止める為に休んだあと、家に帰りました。
駅前の自動販売機でコーヒーを買おうとした時に、自転車に乗った男子学生が私たちの前に止まり、ジュースを買って去って行きました。
私と母は顔を見合わせて「あの子、補聴器してたな。」
と言って、ちょっと笑い合いました。
そうなんです。なんという偶然なんだ・・と思いました。
神様がいるとしたら、私に「泣いてる場合じゃない」って言っているのかもしれへんなぁ。
そんな風に感じました。

☆ここまでが過去日記☆



あれから14年。
診断された当初は、医学の進歩は目覚しいから10年後は聴覚障害が治るかもよ・・なんて話をしてたんですけど、実際はそうはなってません。
人工内耳手術を受ける人口は確実に増えていますが、それは補聴器に取って変わるものであって、神経が生まれ変わるわけではないし、人口内耳で100%の人が聞こえるようになるわけじゃありません。
これは、「筆談ホステス」のエピソードでも語られています。

ただ、検査方法については、近年「新生児スクリーニング」と呼ばれる方法が用いられ、生後すぐに検査が出来るようになりました。
聴覚障害については、私個人的には出来るだけ早い気付きと訓練開始が大事だとの考えなので、この点では確かに進歩したと言えると思います。

kanaには直接関係はありませんでしたが、外科的な進歩については目覚しいものがあるらしいですね。
友人のお子さんは赤ちゃんの頃に何度もメスを入れたそうなんですが、その時の傷が背中に大きく残っているらしいんです。
が、その子が受けた同じ手術が、今は内視鏡で出来るようになったそうです。
手術を受ける患者の負担が大きく軽減されたのではないでしょうか。
これは、友人から聞いた話なので、私が実際に実感しているわけではないんですけど、友人は昔に比べたらよくなったと思うと言ってました。

難病や障害を持って生まれてきた場合、どうしても生き難さが生じます。
0歳から特別な教育や療育、治療を受け、少しでも生き易いように苦しまないように、楽しい人生になるように・・と、親は願いますし、誰よりも本人が毎日頑張ります。
今、改めて昔の日記を読み返してみると、泣いてしまってkanaに悪かったかなぁって思いますね。でも、当時の私には必要な事でした。
聞こえてて当たり前の生活を送ってきた私が、聞こえないことを受け入れるには、しばらくの時間が必要でした。
今となっては、聞こえるようになればいいとまで思うことはなくなりました。
kanaに合った方法で、kanaが出来るやりかたでコミュニケーション力を育てていく事の方が大事です。
聞こえて欲しいと思っていたのは、最初の半年くらいだったかな。
今年で15歳になるkanaは、kanaなりに沢山言葉を覚え、一生懸命伝えようとしてくれる。
今のこの姿を、成長の様子を、ひとつひとつ大事にしていきたい。
そんな風に思います。
by pannie_angel | 2010-03-23 23:00 | 聴こえないこと


子育ては山あり谷あり♪ハンディを持って生まれた長女と双子の妹達3人の天使に翻弄される、あわてんぼうママの徒然日記です。(天使のイラスト/ 素材サイト「ブルーグリーン」)


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